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夕張メロン一覧

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    美しい長円形・ネットのきめ細やかさなどが夕張メロンの特徴です。
    夕張市農協検査場で規定の項目を厳しくチェックし、検査に合格した
    メロンのみが「夕張メロン」のブランド名で出荷されます。
    特秀・秀・優・良の4等級があり、当店では秀・優・良を取り扱っています。

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    特秀・秀・優・良の4つの等級があります。生産者やJA職員の中から選ばれた
    熟練の検査員が、以下などいくつかの基準を総合し等級を決めます。
    ・早もぎ、もぎ遅れではないか
    ・ネットの張り、盛り上がり、密度の度合い
    ・きれいな長円形かどうか
    各等級とも、味に間違いのないものを選んでおりますが、容姿がよく適期に収
    穫した ものほど、おいしい傾向にあります。

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    夕張メロンは果肉が非常に柔らかく、とてもジューシーです。その分、熟すス
    ピードが他品種のメロンに比べかなり早い
    のが特徴です。商品到着後はすぐに
    箱から出し、同封の「食べ頃ガイド」をご参照の上、熟度の確認
    をお願いします。 ギフトでお送りする場合は、おいしいタイミングを逃さずに食べて
    いただくために、ぜひお届け先に一言添えてくださいますようお願いします。

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    夕張メロンは農産物なので、お天気等の影響により、日によって出荷量が変わ
    ます。このため、注文から発送までお時間をいただくことがあります。
    また、父の日前後やお中元シーズンは注文が殺到し、到着日指定をお受けでき
    ない場合があります。何とぞご了承ください。

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    GIは地域で長年育まれた特別な生産方法によって、高い
    品質や評価を獲得している農林水産物・食品等の名称を知
    的財産として、品質とともに国に登録できる制度です。夕
    張メロンは平成27年12月22日に、第一号として登録され
    ました。 norinicon1

沖縄県への発送は別途送料がかかります。
(離島への発送は誠に申し訳ございませんが、お受けしておりません)

2024年度産夕張メロンは5月中旬頃受付を開始いたします

発送は6月上旬頃の予定です
詳細はTOPページにてお知らせいたしますので、もう少々お待ちくださいませ!

夕張メロン




夕張メロン セット商品         

約2kgサイズ


夕張メロンピュアゼリー

とろける果肉感そのまま夕張メロンピュアゼリー


北海道が誇る夏の味を、一年中楽しめるように夕張メロンピュアゼリー誕生のきっかけ
日本の夏の味覚として広く知られる、夕張市の特産品「夕張メロン」。この夕張メロンの果肉を贅沢に使用して作るのが、北海道砂川市に本社を構える株式会社ホリ(以下 ホリ)の「夕張メロンピュアゼリー」です。 創業以来、道内各地の良質の素材をもとに安全・安心・健康を考えたお菓子を作り続けてきたホリは、北海道を代表するメーカーのひとつとして、同じく北海道を代表するフルーツ・夕張メロンのおいしさをより多くの方に知ってもらいたいと考えました。
夕張メロンを使ったお菓子はたくさんありますが、ホリの目標は「夕張メロンの味わいをそのまま伝えられるお菓子を作ること」でした。夏だけでなく、一年中夕張メロンを楽しんでもらいたい。夕張メロンのファン、ひいては北海道のファンを増やしたい。北海道への熱い思いが、夕張メロンピュアゼリー誕生のきっかけになったのです。



夕張メロンピュアゼリーの保存方法・おいしい食べ方

保存方法
本商品は常温での発送となります。商品到着後は直射日光・高温多湿を避けて保存してください。
おいしい食べ方
冷蔵庫でよく冷やしてお召し上がりください。暑い日は冷凍庫で凍らせて食べるのも◎。香りや繊細な甘みは弱まりますが、一味違うおいしさを楽しめます。



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北海道産の花豆



夕張メロンで有名な夕張市には、ほかにもさまざまな名産があります。そのひとつが紫花豆です。豆は、昼に光合成で作り出した糖分を、夜に実に蓄えます。夜の気温が高いと豆は夜間に糖分を消費してしまいますが、夕張は昼夜の寒暖差が大きい時で10度以上にも及ぶため、夜間の糖分の消費が抑えられます。だから、糖度の高いおいしい豆ができるのです。
北海道産の豆を(株)北沢食品工場が創業以来変わらぬ製法で煮込んだのが「花豆甘煮缶」です。
使用するのは北海道産ビートでつくるグラニュー糖と塩のみ。添加物は一切使いません。素材の味を生かすため、甘さは控えめ。ほくほくとした食感、豆そのもののやさしく上品な甘みを楽しめる、シンプルながら奥の深い煮豆は、おかずにも酒肴にもおすすめです。

JA夕張市ネットショップでは、紫花豆をはじめ、北海道産の豆を使った煮豆を全部で6種ご用意しました。ご自宅用に、ギフトに、お好みのセットをご利用ください。





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夕張の元祖長いも

産地直送!夕張の元祖長いも

夕張市産長いもが届くまで おいしく味わう!長いもレシピ



箱詰めのまま0~2℃の適温で保存すれば、約3カ月の保存が可能です。
使いかけの長いもは切り口をラップで包んで冷蔵庫で保存します。1週間程度で使い切りましょう。
すりおろすと冷凍保存できます。フリーズパック等に入れ、使用の際は自然解凍してください。
平らにならしておくと、使用する分だけ折って使うことができ便利です。

2023年度産長いもは完売いたしました!

たくさんのご注文ありがとうございました!




夕張市産長いもが届くまで

種いもを石灰で消毒(キュアリング)し、ハウスで発芽させます。種いもは組合が一元で厳重に管理しています。夕張の土地に合うように改良した、貴重な品種です。

発芽した種いもの植え付けを行います。植え付け後は支柱を立て、根元にビニールをかぶせて保温します。周囲には鹿などの有害鳥獣から長いもを守るための電気撲柵を巡らせます。

芽が地中から顔を出し、つるの伸長が始まります。施肥や除草がこの時期の主な作業です。夏の日差しをたっぷり浴びて葉の量が増えるのに従い、地下ではいもがぐんぐん伸びていきます。


夕張への秋の訪れとともに、葉が徐々に紅葉していきます。初旬の時点で試し掘りを行い、生育状況を確認します。葉が美しい黄金色に染まると収穫です。早く収穫しすぎるとすりおろした時に変色してしまうので、必ずすりおろしチェックを行い、タイミングを見計らって収穫を開始します。


葉の部分を一つひとつ手作業で切り落とした後、重機で土を掘り起こします。掘り起こした土の中から、人の手で一本一本傷をつけないよう長いもを探し出し収穫します。大胆に見えますが非常に繊細な作業です。収穫した長いもは農協へ集められます。作業は雪が本格的に降る前の1週間~10日にかけて一斉に行います。



集められた長いもは手作業でかたちと重さ別に選別されます。贈答用の長いもは、鮮度を保つため、土がついたまま一本一本紙でくるまれ、さらに湿度や温度を適度に保つ作用のあるもみがらとともに白箱に梱包されて保存・出荷されます。








おいしく味わう!長いもレシピ
食感を楽しむなら千切りが一番!サクサクした歯ごたえがやみつきになります。食欲のない時でもつるっと食べれる一品です。


【材料:2人分】
長いも 200g
青しそ 1枚
(一度に入れると多い場合もあるため、少しずつ入れてください)
梅干し 1個
【作り方】
長いもを千切りに、しそをみじん切りにします。

梅干をペーストします。

を和えてできあがり。



夕張市産長いもの特徴である強い粘りを存分に楽しめます。長いもはおろし金ですった後にさらにすり鉢ですりおろすと、ふわっとしたすり上がりになります。

【材料:2人分】
長いも 200g
大根 200g
なめこ 50g
めんつゆ 味を見ながらお好みの量
(ストレートタイプ・割り下タイプがあるのでご注意ください)
【作り方】
長いもをすります。

大根をすり、水分を切ります。

なめこを湯通しします。

の順に盛りつけます。

お好みで麺つゆをかけてできあがり。
ポン酢などでもおいしくいただけます。


外は香ばしくもちっと、中はシャキシャキと、2つの食感が楽しめます。ソテーすることで長いもの自然な甘みも引き立ちます。火を通しすぎると長いもに含まれる酵素・アミラーゼが失われるので、加熱しすぎないように注意しましょう。

【材料:2人分】
長いも 200g
にんにく 1かけ
(にんにくの味と香りを楽しむなら2かけでも○)
塩・黒こしょう お好みの量
【作り方】
長いもの皮をむき、1cmの輪切りにします。

にんにくの皮をむき、スライスします。

フライパンに油を引き、にんにくを炒めます。

にんにくがきつね色になったら長いもを入れ、焼きながら両面に塩・黒コショウを適量
ふりかけます。長いもの表面が軽くきつね色になったら完成です。




JA夕張市組合長が明かす“夕張メロンのおいしさの理由"

JA夕張市組合長が明かす“夕張メロンのおいしさの理由

多くの方の、夕張メロンを愛する気持ちに応えたい。その一心で、技術を進化させ、厳しい検査を行い、世界でただひとつのメロンを守り続けています。
 夕張市は周囲を山々に囲まれた、農業を基幹産業とする街です。なかでも夕張メロンは、北海道を代表する地域ブランドとして、昭和35年から生産が続けられてきました。 夕張メロンは「スパイシー」と「アールス」を親に持ちます。リキュールのような芳醇な香り、鮮やかなオレンジ色をした果肉を「スパイシー」から、コクのある甘み、そしてとろけるような食感を「アールス」から受け継いでいます。この品種を生み出したのは夕張の農家たちでした。専門家ではない人々が行う品種改良で、このように親の長所ばかりが子のメロンに出てくるというのはなかなかないことです。香り・糖度・食感の理想的な特性をすべて持って生まれた夕張メロンは、まさに「天の恵み」というべきメロンだと私たちは自負しています。
  夕張メロンは夕張市の、夕張メロン生産農家のみが作ることを許される果物です。半年近く雪に閉ざされる地域特性などから、出荷は5月中旬から8月までの約3カ月間に限られます。それだけに稀少な味であり、多くの皆さまから「食べてみたい高級果物」、「もらったらうれしいギフト」という声をいただいています。地域限定生産のメロンが、今や「日本を代表するメロンブランド」にまで成長し、高級感のあるギフトとして人気を集めるようになったことは、本当にすばらしいことだと感じております。
 夕張メロンの栽培には3つの要素があります。空気と水、そして光です。温度管理、光量・水分量の調整などは毎年の作業ですが、何度くりかえしても毎年毎年が勉強です。しかし、「さらにおいしい夕張メロンを」との思いは強まるばかりです。それは、夕張メロンを楽しみに待ってくださるみなさまがいるから。夕張メロン2011年には北海道の発展に貢献した団体に贈られる北海道功労賞を知事から授与されました。農業分野での受賞はこれが初めてです。また、2015年には地理的表示(GI)の第一号として登録されました。夕張メロンという作物への、地域からの期待の大きさもひしひしと感じています。北海道内外の夕張メロンファンのみなさまの期待に応えられる味をこれからもお届けするべく、一丸となって生産に励み、厳格な品質基準を守り続けなくてはとの思いを強めています。 夏を彩るギフトに、またご家庭でのデザートとしても、私たちが自信を持っておすすめする夕張メロンをぜひご利用ください。

夕張メロン そのおいしさの秘密

親の長所を受け継いだメロンの王様“夕張メロン”になるのは狭き門
門外不出で守られてきたブランド夕張メロンのおいしさを多くの人に
地理的表示(GI)第一号


親の長所を受け継いだメロンの王様
 夕張メロンの品種名は「夕張キング」。夕張キング一代雑種としての特性を利用し、交配に使用された親の優れた性質を受け継いでいます。その風味や食感は、最先端のバイオ技術でもまねることのできない独特のもので、他の赤肉系メロンとは全く異なる深い味わいが、夕張メロンのおいしさとなっています。
親の長所を受け継いだメロンの王様

門外不出で守られてきたブランド
 夕張メロンは夕張市でしか生産することを許されていません。原種は厳重に保管され、採種から生産まで一元管理されています。「北海道で生産される赤肉メロンは夕張メロン」と思われがちなのですが、夕張メロンとなる夕張キングは夕張市だけが持つ品種であり、他の地域で生産されることはないのです。
夕張市だけが持つ品種

“夕張メロン”になるのは狭き門
 夕張メロンの味が、期待を裏切らない理由。それは、厳しい品質基準に基づいて、一つ一つ検査されているから。すべてのメロンがJAに出荷され、いくつもの基準をクリアしたものだけが、夕張メロンを名乗ることを許されるのです。見た目がやや劣ったり、小さなキズがあったりといった理由で規格外となったメロンは出荷されず、加工原料として活用されています。
“夕張メロン”になるのは狭き門

地理的表示(GI)に登録されています
 GIは地域で長年育まれた特別な生産方法によって、高い品質や評価を獲得している農林水産物・食品等の名称を知的財産として、品質とともに国に登録できる制度です。夕張メロンは平成27年12月22日に、第一号として登録されました。
地理的表示(GI)に登録されています

夕張メロンのおいしさを多くの人に
 今や高級な果物の代表とされる夕張メロンですが、品種開発当時は「大衆メロンを」という発想でした。それだけに、なるべく多くの人に夕張メロンを味わってもらいたい、というのが願いでもあります。JA夕張市の直販サイトなら、とれたての新鮮な夕張メロンを直送しています。同梱のしおりを参考に、おいしく召し上がってください。ちなみに、ツルが付いているのは高級メロンの証。もちろん、夕張メロンはすべてツルが付いた状態でお届けします。
夕張メロンのおいしさを多くの人に


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夕張メロンのすべてがわかるキーワード集

夕張メロンのすべてがわかるキーワード集



甘さの秘密
夕張メロンの持ち味は、とろけるような食感と香り高い芳香。実は、果物を食べたときの味わいは、この食感が大きく左右してきます。果肉がやわらかいと糖度が高く感じられるため、夕張メロンは実際の糖度よりもプラス2度ほど甘く感じるのです。
一代雑種
系統の違う親を両親として生まれる品種を一代雑種と呼びます。多くの場合、一代雑種は両親の優れた性質をその一代に限り発揮する、という遺伝特性を持っています。夕張メロンは一代雑種です。
一元管理
夕張メロンの生産は、すべて計画的に行われています。前年に生産量を決め、月ごとの生産量を割り振るなど、生産者の組合とJA夕張市が一体となって夕張メロンの品質維持を図っています。
親の性質
夕張キングは、父「スパイシー・カンタロープ」の持つ「赤肉・芳香」といった特長と、母「アールス・フェボリット」の「美しいネット・高い糖度・日持ちの良さ」といった特長を受け継いでいます。




加工原料
果肉の食感を生かしたゼリーや、フルーティな香りが広がるジュースの原料などに使われています。最近は、夕張メロン風味のスイーツが増え、おみやげとしても人気を集めています。
火山灰土
農地の大半が、樽前山系の火山灰に覆われています。もともとの地力が少なかったため、より収益性の高い農作物への転換をめざして、夕張メロンの栽培が始まりました。
厳しい品質基準
夕張メロンには細かな出荷規格があり、特に「共撰メロン」に区分される優秀なメロンには「特秀・秀・優・良」の4段階の等級とそれぞれの規格が設けられています。規格は糖度や重量、ネットのかかり具合、色などによって選別されます。
共撰メロンと個撰メロン
「共撰メロン」もしくは「個撰メロン」の規格に合うものが夕張メロンとして認められます。「個撰メロン」とは「共撰メロン」の規格は満たさなくても味は劣らない、という夕張メロンのことで、価格はややリーズナブルです。

原種の保管

原種とは栽培用の種子をとるために育成された種子のこと。原種だけでなく採取された種子も、すべてJA夕張市の建物内の一室に保管されています。





産地の標高
農業の中心地である夕張市沼ノ沢地区で標高175メートルと高く、年間平均気温は約6度と低めになっています。
しおり
夕張メロンには、おいしく召し上がっていただくためのポイントを紹介したしおりが同梱されています。食べ頃の見分け方や保存方法、おいしい食べ方などが詳しく解説されているので、ぜひ参照してください。
出荷は5月から8月までの期間限定
シーズン中の約3カ月間、安定して出荷できるように、生産者は少しずつ日をずらしながら栽培しています。生産者が連携して出荷調整することで、市場ニーズに応えています。
旬の味
食べ物の旬が失われつつある今、口に入る時期が限定される果物は稀少になっています。旬の夕張メロンを食べて、夏を感じてみてはいかがでしょうか。




小さな果実の段階で摘み取る
花が落ちて、雌花の根本が膨らんできたところで、一つ一つ選別されます。どれがおいしい実に育つかを見極めながら、素早く手で摘み取ることが、メロンの株にストレスを与えないコツです。
地力を蓄えさせる
半年間、土を休ませている間に、緑肥をまいたり、土の栄養となる有機物を入れたりしながら、土の力を高めています。
直送形式が安心
JA夕張市の撰果場から、収穫されたばかりのメロンをスピーディに発送します。夕張メロンの場合、熟するスピードが速いため、直送形式の方がより安心です。
土づくり
同じ作物を同じ土地で作り続けると、作物に病気などが出やすくなる「連作障害」が起こります。夕張では、土地を休ませながら土づくりを行うことで、連作障害を防ぐという知恵が受け継がれています。
ツルは高級メロンの証
ツルが付いているのは高級メロンの証です。また、鮮度を見分けるポイントにもなります。ツルが青くピンと張っていて、切り口がシャキッとしているのが、新鮮なメロンの目安とされています。




始まりは庶民の味
当時「高級」とされた青肉のネットメロンを、身近な庶民の味にしようとして開発された夕張キングですが、品質の高さと希少性から、今では最高級メロンともいわれるようになりました。
冬は土を休ませる
北海道では、雪の降る期間はハウス栽培が休みになります。こうしたデメリットを逆に利用して、半年間じっくりと休ませることで、翌年もおいしいメロンを育てることができます。




実の数は3~4個
メロン1株につく実の数は3~4個に制限されています。制限することで、より甘みと香りの強い夕張メロンが育ちます。
磨き
出荷時期は毎日メロンを見ている生産者の厳しい目で決まります。収穫されたメロンは、きれいに水洗いした後に表面をていねいに磨かれ、美しい姿で出荷されていきます。
ミツバチ受粉
人の手で交配を行っていた時期もありましたが、ミツバチによる自然受粉の方が効率が高いことから、昭和40年代にミツバチ受粉に切り換えられました。




夕張キング(品種名)
父親が「スパイシー・カンタロープ」、母親が「アールス・フェボリット」という品種交配によってつくられ、昭和36年に「夕張キング」と名づけられました。
夕張メロンの「資格」
夕張メロンの資格を得るのは、夕張市内で育てられた「夕張キング」のみです。別の赤肉メロンを「夕張メロン」と称している場合がありますが、夕張メロンには保証票(シール)が貼られているので、必ずチェックしてください。


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みんなで描こう、夕張メロンの未来。

座談会 夕張市長×農協青年部 みんなで描こう、夕張メロンの未来。

※この座談会は2012年に行われたものです。

座談会参加者

  • 夕張市長:鈴木 直道

    夕張市長:鈴木 直道

    2011年、市長に当選。同時期に結婚した奥様とともに夕張に根を下ろし、夕張市の再生と街の活性化を目指して奮闘の日々。

  • 夕張市農協青年部 部長:本間 悠貴

    夕張市農協青年部 部長:本間 悠貴

    メロン農家としては2代目。結婚10年目を迎えた奥様、ご両親と家族中心の経営で夕張メロン生産にあたっている。

  • 夕張市農協青年部 副部長:百瀬 進

    夕張市農協青年部 副部長:百瀬 進

    大学を卒業後、家業を継いで夕張メロン農家として就農。2012年で、就農して11年目となる。

  • 夕張市農協青年部 参与:村越 裕一

    夕張市農協青年部 参与:村越 裕一

    昨年度の青年部部長。現在はアドバイスなどを行う立場だが、ご本人は「みな完璧に業務を遂行するので、たいして相談は受けないですけど…」との弁。

  • 夕張市農協青年部 会計:原 広志

    夕張市農協青年部 会計:原 広志

    夕張メロン農家としては2代目。会計のほか、イベントなどを行う組織部の一員としても活動。この日は朝4時から農作業に当たっていたそう。

  • 夕張市農協青年部 理事:鎌田 利郎

    夕張市農協青年部 理事:鎌田 利郎

    夕張メロン農家としては2代目で、就農して8年目。営農部のチーフとして活動している。

ブランドの重みを肌で感じた50周年を経て、「夕張メロン」は次のステップへ

座談会の様子01

本間 夕張メロンが50周年を迎えたのは、2年前の2010年。その年の行事で最も大きかったのは「夕張メロン組合創立50周年記念式典」でした。

村越 生産者だけで50周年を迎えられたのかっていうと、それは違います。取引先、業者の方、お客様の力、周囲の皆様の力添えがあってのことなので、みんなでお祝いしようと、ご尽力いただいた方々を招待して式典を開催しました。

本間 式典の最後には出席した青年部員全員が壇上に上がり、当時の青年部長が決意表明をしました。「100周年を目指して頑張っていかないといけないと感じている。大いなる財産を受け継ぎ、さらに進展させることが使命」という内容のことを話しました。

原  僕もその時壇上に立ったのですが、もうどこ見ていいのか…(笑)。ご出席くださったのは、本当にそうそうたる方々。また、それほど大勢の関係者が一堂に会するという機会は今までなかったので、若手の生産者としては圧倒されたし、大きな責任を感じました。周りの反応を知れば知るほど、夕張メロンというブランドの重みを強く感じましたね。

本間 プレッシャーは裏返せば大きな期待といえます。夕張メロンが50周年を迎えられた最大の理由は、夕張にしかない唯一無二のメロンだから。夏になるとこのメロンを待ってくれている人がいる。その人たちの期待を壊さないように夕張メロンをつくり続けていきたいという思いを新たにしました。

座談会の様子02

鎌田 ほかには、50周年を機に、専用の化粧箱に「夕張市農協検査場発」のロゴが印刷されるようになりました。

本間 テレビなど報道で取り上げられることも増えましたね。こうしたことで、ブランドの認知度はますます高まったと思います。

鈴木 2011年は天候が思わしくなく、生産者にとっては大変厳しい年だったと伺っています。でも、そうした中で生産者のみなさんは一致団結して、良い品物を出荷してくださっていました。そして、その年に夕張メロンは北海道功労賞を受賞しました。とても大きな出来事だったと思います。今年は天候も良く、順調に出荷が進んでいて、50周年から良い流れでここまで来ていますよね。

「高嶺の花」のままじゃダメ。ブランドの高級さはそのままに、消費者とメロンの出会いの場を増やす工夫を。

座談会の様子03

鈴木 先日、ある夕張メロンフレーバーの新商品の打ち合わせに参加させていただいて、マーケットリサーチの資料を見る機会があったんです。その資料によると、これだけ全国にさまざまなブランド青果がある中で、夕張メロンの認知度は日本一だったんです。それも圧倒的な数値で。北海道でイメージするフルーツとしても1番。どちらもものすごい強みです。長きにわたってこんなに1つのフルーツが知られ、愛され続けることはなかなかないことです。

村越 そうですね。「赤肉メロン=夕張メロン」と勘違いされている状況もまだありますけど…。

本間 僕自身、あるスーパーで、全然違う赤肉メロンを「夕張メロン食べてかない?」ってすすめられたことがあるんですよ(笑)

一同 (笑)

本間 夕張メロンは夕張の生産組合の農家だけが作っていて、夏の旬の時期しか食べられない季節限定のもの。そこを勘違いされるのは生産者としてとても歯がゆい。夕張メロンの特徴を、販売に携わる人も含め、お客さんにもちゃんと理解していただけるよう、伝えていかなくてはって思いますね。

鈴木 また、もっと“食べてもらう”試みも必要かもしれません。僕が道外の方々と話をすると、先ほどお話ししたように高い知名度を誇る一方で「一度食べてみたい」という声がすごく多いのが印象的なんです。つまりは、「食べたことがない」ということなんですよ。「手の届かない存在だよね」と言われてしまうので、「送料込みで安いものでは3000円台なんですよ」「インターネットで買えますし、市内でも手頃な価格で買うことができますよ」って話すんですけどね。

百瀬 なるほど…。

鈴木 ただ、それは、まだまだ販路開拓の可能性があるということでもある。夕張メロンは、食べれば価値がわかるフルーツだと思うんです。僕は初めて夕張メロンを食べた時に、その味わいにびっくりした。人って食べ物を見た時に、香りや見た目で味を想像しますよね。それで、食べてみて、当初の想像の範囲を超えていた時に衝撃を受けると思うんです。僕にとって夕張メロンはまさにそういった「感動する」フルーツでした。当時、まだ交際中だった妻が数日後夕張に遊びに来る予定だったので、食べさせてあげようと半分とっておいたんですけど……結局、我慢できなくて彼女が来る前に全部一人で食べちゃった。それは、今でも妻には秘密にしてます。

座談会の様子04

一同 (笑)

鈴木 だけどそのくらいおいしかった。正直言うと、東京にいる頃は、僕も夕張メロンを遠い存在に感じていました。でも、おいしいものを食べた時には、不思議なもので人って誰かに伝えたくなる。自分が感動を味わってみて、「まだ経験していない人にもぜひ味わってほしい」と今はより強く思っています。

村越 夕張メロンのギフト利用は、年配の方の割合が高いんですよね。でも、昨年都庁で販売イベントをした時に驚いたのは、20代、30代の若い方も意外と買っていくということ。多くは自分で食べるためだと思うんですが、2日間販売を行ったら、初日にいらしたお客さんが「おいしかったから親に贈りたい」ってまた来てくださったりもした。

鈴木 今は少しずつ御中元などの慣習が薄れて、食べたいものは自分で取り寄せて食べる。消費の動きが変わってきた感覚がありますよね。

村越 はい。でも、周りの人に贈ってあげたいと思う人もやっぱりいる。そういう人をどうやって見つけて、ファンになっていただくかも課題なのかなと思います。

鈴木 夕張メロンがほかのギフトと違うと感じるのは、かなりの確率で御礼の電話が来ることです。「おいしかったよ、ありがとう」って、手紙じゃなく電話で伝えられる。そうやって直接言われちゃうと、やっぱりね、「また贈んなきゃいけないなあ」って思う。

一同 (笑)

鈴木 高価なものを贈ってもらったという印象プラス、おいしいという感動で、「これはもう直接伝えなきゃ!」って、人の心が動くということですよね。その波及効果は大きい。そこでファンも生まれるし、消費の循環も生まれる。

百瀬 やっぱり、とにかく一度食べていただくことが大切ですね。

鈴木 本当にそうです。価値のあるメロンだから、もっと皆さんに親しんでもらいたい。だからこそ、食べるところに行き着くまでの情報提供が、これからは重要になってくるのかなと思います。50年間、毎年栽培技術の精度をあげてきたように、地道にファンを開拓し、獲得していく試みは大事になってきますよね。

本間 農協では、父の日にギフトとしてメロンを贈ろうっていう働きかけはしていますよね。

座談会の様子05

鎌田 そのほかにも、出荷最盛期の7月くらいにメロンを食べる日があったりしたらいいですね。何か記念日を作って習慣化できたらおもしろいかも。

本間 6、8、10とか、丸がつく日はメロンの日にしちゃえばいいんじゃない?(笑)

鎌田 七夕はメロンを食べる日にしちゃいますか? 市長、それで今度からアピールしてみてください!

鈴木 それは…七夕と夕張メロンの間に、もうちょっと強いストーリー性がないと厳しいなあ…(笑)

村越 海の日とかはどう?スイカ割りならぬメロン割りをおすすめしてさ。

一同 (笑)

地域にも、今以上に愛される。それもブランド維持の重要な鍵。

本間 贈り物の話でいうと、学校の先生なんかよく言うんですが、夕張に住んでいると、ギフトは夕張メロンになるそうですよ。

村越 生産者も収穫時期の贈り物はやっぱり夕張メロンですね。毎年親戚には贈りますね。楽しみにしてくれているし。

鈴木 夕張に住んでいれば夕張メロンを贈ったり、自分たちで消費したりする機会は多いですね。だって地元なんだもの。夕張市の人口は今、最盛期の10分の1に減ってしまっているんですが…。

百瀬 もしかしたら、今は意外と市民も夕張メロンを消費していないかもしれませんね。先日、農協と青年部とで、小学校での食育授業を行ったんです。種をまいてから収穫されるまでのメロンの一生や、収穫後の検査など消費者の手元に届くまでの仕組みを、映像も使って教えました。その時に小学生から「なんで夕張メロンは高いんですか?」って質問を受けたんです。

一同 (笑)

百瀬 「高いからお母さんが買ってくれないんです」って言うんですよ。「規格ごとに価格は違うんだよ」と答えたんですけどね。

原  より形がきれいだとか、ネットがピシッとかかって美しいとか、そういうことで規格は決まるけれど、出荷されている夕張メロンはどれもみんなおいしいんです。だから、「手頃な価格のメロンを買って食べてみてね」と伝えました。

本間 夕張市民でも、農家の子どもは頻繁に食べるかもしれないけれど、そうでなければ食べる機会が少ないですからね。

座談会の様子06

鈴木 小さい時から夕張メロンに触れる機会があると、地域の人のメロンに対する意識もさらに高くなるんじゃないでしょうか。

本間 そうですね。これからの取り組みとして、青年部独自でも食育活動を進めていけたらと考えています。畑や検査場も見てもらって、夕張メロンを口にしてもらえば、子どもたちは素直に夕張メロンのおいしさ、メロンづくりの大変さを感じて、価値を理解してくれると思うんですよ。また、おいしかった印象はずっと残っていて、覚えていると思うんですよね。子どもたちはいずれ消費者になるから、次の世代に消費もつながる。

鈴木 夕張といえば夕張メロンなんだし、夕張出身者としては夕張メロンの話はできた方が絶対いい。地元の人で夕張メロンについて熱く話せる人が増えればそのすごさも周りの人に伝わるから、小さい頃からの子どもたちへの働きかけは未来への大きな投資ですね。

本間 僕自身、岩見沢の高校に進学したんですが、やっぱりメロンの話はされましたよ。

村越 僕なんか大学時代、夕張出身ってだけであだ名が「メロン」だったよ。友達の親御さんに「最近、メロンくん来ないけどどうしてるんだい?」って聞かれたりもしたし。

一同 (笑)

鎌田 おみやげに持ってくることを期待されちゃったりしてね(笑)。でも、他に持ってくものないし、手みやげはどうしても夕張メロンだよね。

原  でも、中学生、高校生の時はわからなかったけど、今思えばそう言ってもらえるのもありがたいことだよ。それだけ、夕張や夕張メロンが印象に残っているってことでしょ?

村越 僕、高校生の時にケガして入院したんです。その病室に、偶然原くんも入院してたんです。それで、原くんのお父さんがお見舞いにきた時に、「いつもお世話になって…」とメロンを配るわけですよ。うちもメロン農家なんですけど(笑)。でも僕もおいしくいただいたし、みんなやっぱり喜んだね。

座談会の様子07

百瀬 メロンのおかげで人気者になった?

原  いやいや、そんなことないですよ!

本間 俺、入院したことないからなあ…。

原  でも、今はもう、メロンの旬の時期には絶対入院できませんよ?

本間 そうだね、今はケガをしても何しても、何が何でも仕事しないと。メロンを出荷しないといけないもの!

一同 (笑)

受け継ぐだけでなく、越えていく。生産者として、品質を守るだけではなく、さらに高める努力も怠りなく。

村越 僕は今年、先代から経営を譲られて、事業主になったんです。栽培に関してはすでにほとんど任されていたんですけど、事業主になって、今までは親の手の中で好き勝手やっていたんだなと痛感しました。例えば温度調節のためにハウスを開けるとして、僕はまだ、何回か調節するところを、うちの親は1回の作業で適切な開き具合にしてしまう。将棋でいうと僕が2手差すところを、1手で行ってしまうというか。経験に基づいた読みは「やっぱり、すげえなあ!」って思います。耳に痛いことを言われるので、小言はあんまり聞かないようにしてますけど(笑)

百瀬 うちはメロンづくりに関しては、ある時からぴたっと何も言われなくなりました。まあ、自分としても、親にあれこれ質問するのはちょっとっていうところもありますんで…。考えも違ったりするし、家族だと、…ほら、関係とかバランスとかがね、いろいろ問題がね。円満にやっていきたいし(笑)

一同 そうだね(笑)

百瀬 聞きたいことがあれば青年部の中で意見交換したりしますね。

鈴木 生産者一人一人がある意味職人だから、ものづくりをする以上、思い入れも強いし、ぶつかりあうことも必然的に起きますよね。逆に親御さんに譲ってばかりではいけないのかも。

村越 みんな、何かしら、「変えよう」という想いは持っているんじゃないですかね。

鎌田 天候が決して順調とはいえない中でも、良い品をバンバン出荷している人はいたりする。そういう人には、天候の影響を最小限に抑えるコツを、自分から教えてもらいにいったりしています。より良いものを作るために努力、工夫することはこの仕事の醍醐味ですし、親の背中を追いかけていたら、最終的に親と同じレベルのメロンはできるかもしれないけど、越えられない。

本間 メロンづくりも年々、発見があって進化・改善があるんです。だから周りの人にどうなんだろうってどんどん聞いて、新しい技術を教えたり、教えてもらったりする。昔からの考えは大事なベースとして、そこにさらにいろんな情報を取り入れる。それがあるからまた進化して、上昇していけるので、青年部でも勉強会を開催したりしています。

100年続くブランドづくりを目標に、守りたいこと、取り入れたいこと。

座談会の様子08

原  夕張メロンっていうのは、香りも、姿も、食感も味も、本当に素晴らしくていろいろな楽しみ方ができるメロンです。僕は夕張メロンが届いたら、まずその独特の芳香を楽しんでいただきたいなと思います。届いた時に部屋中に香りが広がる。それも夕張メロンの一つの楽しみだし、魅力ですよ。

鎌田 僕は、夕張メロンはやっぱり、唯一無二で、すばらしいフルーツだと思う。でもそれは食べて初めて実感できることなので、とにかく一度食べていただきたいです。それで、「おいしいの輪」が広がってもらえればと思います。

村越 夕張メロンは北海道の初夏を彩るフルーツと言われますが、本当に、旬の時期以外は出荷されない。9月や10月には食べたくてももう品物がないんです。だから、旬を感じて食べていただきたいですね。生産者としては、50周年を迎えて一区切りというところですが、これからまたいろんなこと、新しいことに挑戦していきたい。足下はしっかり見つつ、一歩ずつやっていきたいと思います。

百瀬 夕張メロンを買っていただいた方には、とにかく感謝、感謝の言葉しかありません。規格に関わらず、「買って良かった!」と思っていただけることが第一に大切と思っています。メロン栽培は一年一年の積み重ね。今年で誕生から52年目ですけど、53年目も、次へ向かうというその積み重ねでしかないんですよね。

鎌田 次の50年を刻むにも、やっぱり一歩一歩が大切だと思っています。

原  今青年部には42名部員がいます。僕たちは一人じゃ何もできない。切磋琢磨し、時にはぶつかり合いながら、先輩後輩問わず、みんなで一緒に夕張メロンを盛り上げていくしかない。

本間 青年部員は若い後継者ですから、僕たち若い力が生産力を高めて、次につなげていくことは何より重要ですよね。

鈴木 農協や取引先、夕張メロンに関わる人たちが、長い時間をかけて生産者の努力の結晶を消費者に届けることを積み重ねてきた。夕張メロンというブランドが築かれたのは、そのネットワークのたまものだと思うんです。今年は最高の出来ですし、食べたことのない方にはまず今年食べていただいて、大切な人にも贈っていただいて、夕張の応援もしていただきたい。お願いばかりですけど、推薦するには理由がある。本当においしいものじゃないと生き残れない世界で続いてきたブランドには、確かな良さがありますから。

本間 僕としては、食べ物である以上、「おいしい」という一言が一番大事な言葉なんですね。そして、おいしいと自然と笑顔になると思うんです。そういうメロンこそが、この先も続いていくブランドメロンだと思っています。これまでの歴史をしっかりと背負いながら、生産技術にもブランドづくりにも良いものは取り入れて、食べた人が笑顔になる夕張メロンをずっと作り続けていきたいと思います。

夕張メロン誕生物語






北海道中央部よりやや南西に位置し、三方を夕張山系の山々に囲まれた夕張市。明治21年、夕張炭田が発見されてからこの街の発展は始まりました。
当時エネルギーの主流であった石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれていました。多くの労働者が全国から集まり、最盛期には10万を超える人々で街はにぎわっていました。
しかし、農業という面から見たときには、夕張は苦労の多い土地でした。火山灰質の夕張の大地に適した作物は限られます。山間地のため、北海道ならではの大規模農業も行えません。雑穀・豆類・アスパラ、長いもなどの野菜を細々と作るだけでは、生活は成り立ちませんでした。
このままでは夕張の農業が衰退してしまう。それでは、大変な苦労をしてこの地を切り拓いてくれた先祖に申し訳が立たない。どうにか農業で生計が立つようにならないか。
農家も、農協も、夕張の技術者や研究員たちも、策を求め、試行錯誤する日々が続いていました。
昭和32年のある日のこと、地区を回っていた、当時の夕張市の農業改良普及員がひとつの果物に出合いました。農家が自宅用に細々と作っていた、「スパイシー」という名のメロンでした。
元々夕張では、水はけの良い土地に適するメロンの栽培に取り組んでいました。大正12年頃から、数種の栽培を試みていましたが、十分な糖度が得られず開発はやがて立ち消えとなっていたのです。スパイシーは、その中の一種でした。
農家が差し出したメロンの見た目は、メロンというよりはウリでした。味も、砂糖をかけないと食べられないほどで、まったく甘みがありません。しかも果肉は赤色です。ネットの張った青い果肉のメロンが主流の時代、ネットのない、赤い果肉の味なしメロンに勝機などないように思えました。
しかし、農業改良普及員はそのメロンに可能性を見いだしました。スパイシーはどのメロンにも負けない、麝香のような甘く芳醇な香りを持っていました。赤い果肉も、見方を変えれば強い個性になります。あとは甘くさえなれば、十分夕張の特産品になる。農家も助かるのではないか。そう考えたのです。
それは、夕張の農業に、一筋の希望の光が差した瞬間でした。





昭和34年、有志が集い、メロンの交配試験が始まりました。専門技術員や農業改良普及員の力を借りてとはいえ、試験場のような設備や種苗会社の協力は一切なく、何もかも自分たちで行わなければなりません。当然、困難の連続でした。
なかでも、一番のポイントとなる、交配に使うメロンの種探しは難航しました。当時日本にあった42種類のメロンの中から候補に選んだのは、抜群の甘さを持つ高級メロン「アールス」でした。苦しい家計の中からお金を捻出し、メロンを買ってきたのもつかのま、市場に出回っているメロンから採れる種はすべて雑種で、原種しか交配には使用できないことを知ります。
しかし、原種はどこの産地にとっても命。門外不出で大切に守られ、分けてくれるところなどそうそうありません。全国の産地や試験場を訪ね歩きましたが、話を聞くどころか、門前払いを食らうことも少なくありませんでした。
それでも農家はあきらめませんでした。手分けして日本中を駆けずり回り、種を分けてくれるように頼み込み続けました。その熱意が通じ、ようやくいくばくかの種を手に入れることができたのです。

昭和35年6月、交配を行い、10個の実を収穫。翌年春から、初の栽培に取り組みました。ここからも、順調にことは進みませんでした。4月でも氷点下を記録する夕張の地では発芽さえも一苦労。せっかく発芽しても、寒さで苗が枯れてしまうのです。
農家は腹巻の中に種を入れ、自らの体温で種を温めました。ようやく芽の出た苗はビニールで二重にも三重にも覆い、北の地の厳しい寒さから守り抜きました。
必死の思いで育てた新品種のメロンは、夏に立派な実をつけました。ジューシーな赤い果肉、うっとりするような豊潤な香り。そしてとろけるような甘み。大衆にも届くようなメロンを、という作り手の予想を遥かに超えるメロンに農家は酔いしれました。
「最高のメロンができた。苦労が報われた」
誰もがそう思いました。みな、自信満々で夕張メロンを集荷場に持ち寄りました。
ところが、予想もしない事態が農家を待ち受けていました。





「重さが足りない」
「ネットがだめだ」
丹精込めて育てた夕張メロンが次々と捨てられていきました。重さやネットをクリアしても、容赦なく包丁が入ります。
「甘さが足りない」
1%でも糖度が足りないと、やはり捨てられました。
すべては、農業改良普及員が作っていた、厳しい出荷規格によるものでした。重さ、ネットの張りだけでなく、当時どこの産地もやっていなかった「甘さ」をも加えた革新的な規格の前に、捨てられた夕張メロンの山ができました。

当然、農家は猛反発しました。血のにじむような苦労をして作ったものを捨てられて、気持ちがいいはずがありません。
しかし、出荷規格が変えられることはありませんでした。厳しい規格は、農業改良普及員が200個以上のメロンを実際に食べ、お茶すらも飲めなくなるほどに舌を荒らして、確かさを検証して作ったものでした。そこまでしたのは、「どんなにいい品種を生み出しても、品質管理が行き届かなければだめになる」と考えたからです。メロンはフルーツの中でも、食べたときにそのおいしさが非常に明確にわかるフルーツです。だからこそ、消費者の立場でおいしくないと思うものは絶対に売ってはいけないと考えたのでした。すべては夕張の農家を、夕張の未来を思うがゆえの決断でした。
「品質管理こそが、産地の命です」
その言葉に、悔しさに震えていた農家は立ち上がりました。
「負けるものか。絶対に規格に合う、最高の夕張メロンを作ってやる!」
夕張メロン専用のハウスを建てました。美しいネットを出すためには光量の調節がものをいいます。日に10回以上シートの上げ下げを行いました。甘さを決めるのは温度管理。昼夜問わず、ビニールを開け閉めして温度の調整を行いました。畑に寝泊りすることさえありました。
一瞬も気を抜けない日々が続きました。
農家の思いは、メロンの質に表れました。姿、香り、味。どれをとっても他に類を見ない、完璧な夕張メロンが実ったのは、その年の8月の終わりのことでした。





生産組合と農協が一体となり、夕張メロンを作り続けていた昭和38年、夕張に大きな嵐が訪れました。炭鉱の閉山です。石炭から石油へのエネルギー革命を受け次々と炭鉱が閉山していく中、夕張の農家たちは生き残りをかけ、新たな挑戦を決めました。販路拡大のための東京への出荷です。
そのためには絶対に超えなければならない高いハードルがありました。輸送の問題です。夕張メロンはすばらしい味わいを持つ反面、熟してからの可食期間が極端に短いフルーツです。当時は東京まで連絡船と鉄道で一週間もかかる時代。どうやって運ぶのか、検討が始まりました。

まず試したのは、2日で届けることのできるトラック便でした。荷台を幌で囲って風通しを良くし荷を発送しましたが、なにせ北海道と違い暑い本州、届いた頃にはメロンは熟し過ぎ、黄色く変色していました。
次に試したのが国鉄の特別便です。海産物を運ぶ冷蔵コンテナをチャーターし、大量の氷で冷やして輸送しました。しかし暑さで氷が溶け、箱は水浸し。届いた夕張メロンは蒸れて売り物になりませんでした。
残された手段は空輸でした。空輸にかかるコストはトラックや鉄道輸送の比ではありません。夕張メロンが売れなければ間違いなく赤字という、とても大きな賭けでした。
夕張の期待と不安を乗せて飛行機は飛び立ちました。そして、収穫したその日に、無事夕張メロンは築地市場に到着しました。
活路を見出した。そう思ったのもつかの間でした。
「これはカボチャですか?」
夕張メロンの周りに集まった仲買人たちは、見たこともない赤い果肉を笑ったのです。どうにか東京まで運んだにもかかわらず、「カボチャメロン」とバカにされ、「こんなものはメロンじゃない」とまで言われる始末。ついた価格はなんと、静岡産の青肉メロンの半値以下。その事実を知り、みな真っ青になりました。





絶体絶命のピンチ。それでも、品質への絶対的な自信は揺らぎませんでした。「この味わいは、いつか認められるはず」。その一心で、厳しい出荷規格を農家は守り続けました。
農協も、その様子をただ見ているだけではありませんでした。夕張メロンのすばらしさをもっと広く知ってもらう方法はないだろうか。考え抜いた末にひらめいたのは、著名人に味わってもらう方法です。
「食べてもらえればわかる。味わってもらっておいしさを広めてもらおう」
今でいう、口コミでの宣伝効果を期待したのです。当時は読売巨人軍の黄金期。北海道でも、札幌・円山球場で巨人戦が行われていました。ここに、夕張メロンをホームラン賞として持ち込むことを決めました。多くの選手に夕張メロンの化粧箱が手渡されました。
この作戦が当たりました。ある選手が、「北海道の楽しみは海産物と夕張メロン」と話したことをマスコミが取り上げたのです。知名度は一気に上昇。東京の有名デパートがギフト商品として取り扱ってくれることになりました。これで一安心、誰もがそう思いました。

ところが扱いを初めて間もなく、農協にクレームが入ったのです。
「お客さまに届いた商品が腐っている! どういうことだ!」
調べると、店頭に並べられた夕張メロンが届け先に到着するまでになんと一週間もかかっていることがわかりました。夕張メロンの特性上、そんなに長く品物をもたせることはできるはずがありません。農協はデパートに提案しました。
「私たちのところから、直接お客様に送らせてもらえませんか」
いわゆる“産地直送”です。今日では当たり前に行われていることですが、当時は前代未聞の流通方法。デパート側は当然難色を示しました。「売る側の責任として、品物も見ずに売るなんてそんなことはできない。ましてやギフト用の高級商品です」
販売側としてもっともな反応です。しかし、夕張メロンを間違いなくお客様に届けるためには、この方法しかありません。農協職員は意を決して言いました。
「では、検査場にきてください。一度、私たちの検査を見てください」
昭和53年5月14日、午後1時。緊張に包まれた選果場に、デパートの担当者たちがやってきました。
ほどなくして検査が始まりました。ベルトコンベアの上を、箱に入った夕張メロンが次々と流れてきます。検査員は目の前に流れてきた箱の中から、1玉を手にとりました。十分な品質の夕張メロンに見えました。
ところが次の瞬間、検査員はその夕張メロンにためらいなく包丁を入れたのです。目の前の光景に、デパートの担当者はことばを失いました。しかし、それすらほんの序の口でした。その後も、次から次へと夕張メロンは切られていったのです。
ネット不足、熟し具合、すべてにおいてわずかでも基準に満たないものは容赦なく廃棄されました。見た目は合格でも、少しでも品質に疑いのあるものは切られ、糖度をチェックされます。品質への強い責任感、夕張メロンを手にするお客様に対しての誠実な姿勢。言葉で説明するよりも、その光景が雄弁に出荷体制の確かさを物語っていました。
担当者は確信しました。これならば、間違いのない商品をお客さまの手元に届けられる、と。
昭和54年、日本初の産地直送がスタートしました。こうして夕張メロンは、北海道の名産品のみならず、日本の夏の風物詩として広く認知されるようになっていったのです。






石炭なき後の夕張の街を支え、「赤いダイヤ」とまで呼ばれるようになった夕張メロンこと、品種名「夕張キング」。実は、品種の研究はいまだに続いています。しかし、「夕張キング」を超える新品種は現在も誕生していません。夕張メロンは、まさに天の恵みといえる産物だったのです。
ただ、独自の品種だけに、生産方法も確立されていませんでした。すべてをゼロから構築するだけでも大変なのに、「夕張キング」は非常に栽培の難しい品種。現在のように安定した産量と品質を保って出荷できるようになるまでには、並大抵ではない努力が重ねられてきました。露地栽培からハウス栽培への移行、日本で初めてのミツバチによる交配の導入。栽培方法は現在も進化し続けています。
その中で、「日本一厳しい」と評される品質検査の方法は変わりません。検査に最新鋭の機械の導入を検討した時期もありました。しかし、メロンのおいしさは糖度だけでなく、食べたときの舌ざわり、香り、うまみなどさまざまな要素によって決まるもの。長年夕張メロンを吟味し続けてきた検査員の、全神経を集中させた検査に勝るものはなかったのです。

また、もうひとつ変わらないものがあります。それは、食べる人の笑顔を求めて努力を続ける生産者の姿勢です。夕張メロン組合の組成から50年を経て、農家の世代交代は進みつつありますが、あくまで生産農家139戸の目標は、「消費者がよろこぶ夕張メロンを作ること」。食べる人の顔を思いながら、1玉1玉に愛情を込め、創意工夫を重ねて夕張メロンを育てていくその姿は、創成期の農家の姿勢となんら変わるところがありません。
夕張の農家の熱い思いと高い技術が実らせる“極上のフルーツ”夕張メロン。その輝きは誕生から今日まで、そしてこれからもずっと、あせることなく受け継がれ、続いていくのです。





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